東京地方裁判所 昭和63年(ワ)6405号 判決 1991年3月28日
原告
甲野花子
被告
伊丹康人
被告
別府諸兄
右被告両名訴訟代理人弁護士
古屋俊雄
同
古屋倍雄
主文
一 被告伊丹康人は、原告に対し、金三五万円及びこれに対する昭和六三年五月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告伊丹康人に対するその余の請求及び被告別府諸兄に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告と被告伊丹康人との間においては、被告伊丹康人に生じた費用の五分の一を原告の負担とし、その余を各自の負担とし、原告と被告別府諸兄との間においては全部原告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、各自金二三〇五万円及びこれに対する昭和六三年五月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 第一項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告は、昭和一五年四月九日生まれの家庭の主婦であり、変形性股関節症に罹患している。
被告伊丹康人(以下「被告伊丹」という。)及び被告別府諸兄(以下「被告別府」という。)は、大田区所在の牧田総合病院に勤務していた整形外科医である。
2 治療の経過
原告は、昭和五八年三月ころ、左足全体の痛みを時々感じるようになったので、近医の診察を受けたが、たまたま、被告伊丹が雑誌に人工股関節置換手術についての解説を掲載していたのを目にし、昭和五八年五月二六日、牧田総合病院において、被告伊丹の診察を受けた。原告は、その後同病院にしばらく通院し、昭和五九年一月三一日、被告伊丹の執刀により、左股関節につき人工股関節置換手術を受け、同年三月三一日退院し、さらに、同年九月二〇日、同じく被告伊丹の執刀により、右股関節につき寛骨臼廻転骨切術を受け、昭和五九年一二月末に退院した。被告別府は、各入院時の病棟の主治医であった。
3 原告に生じた障害
原告は、人工股関節置換手術を行う前においては、左足に多少の痛みは感じていたものの日常の生活動作に何の障害もなかった。しかし、人工股関節置換手術後は、生活動作を洋式にするなど日常生活上の様々な制約を課されることとなり、また、寛骨臼廻転骨切術後は、リハビリ中に手術した部分から異音が出始め、退院してからは痛みが起きるようになった。
原告は、被告伊丹から、出来るだけ歩かず、車を使うようにと指示されていたので、それを守って生活していたが、昭和六一年六月以降は右股関節の痛みが従来よりも強くなり、日常生活上の支障が増大した。さらに、同年一〇月末ころには、右股関節の軟骨が失われ、ロフストランド(杖)をつかないと殆ど歩けなくなり、同年一二月には、右股関節の寛骨臼廻転骨切術の失敗が影響して、左股関節の人工股関節が斜めになっていることが判明し、以後、日常生活及び家事に大きな支障がある。
4 被告らの責任
(一) 各手術の適応について
人工股関節は、本来の人の骨と比較して耐久性が乏しく、ほぼ問題なく機能しているのは四、五年に過ぎず、その後は磨耗等によって本来果たすべき性能が発揮できなくなるとされ、また、衝撃にも弱いので日常生活では大きな衝撃を与えないよう細心の注意を払う必要がある。他方、この手術は、年齢が高い患者に対しても行うことができ、教科書の中には、六〇歳以上を適応年齢としている例がある。従って、人工股関節置換手術は、患者本人が痛みを我慢できなくなった時期か、あるいは股関節の機能が殆ど失われて、歩行自体が困難となる時期に行うべきものである。
しかるに、原告がこの手術を受けた時点では、左股関節の痛みは鎮痛剤を服用すれば我慢できる程度であり、その機能は日常生活を行うのに十分な程度維持されていたし、年齢も四三歳であったのであるから、被告伊丹には、原告に対する右手術の実施時期についての判断を誤り、右手術を行ったという過失がある。
また、寛骨臼廻転骨切術は、もともと、初期の変形性股関節症に適応があるとされているところ、原告の右股関節は右手術時において進行期ないしは末期であったのであるから、その適応を欠いていた。そして、原告は、人工股関節置換手術後、痛みをほとんど感じず、杖をつく必要もなく、特に悪化した様子はなかったのであり、手術後の成績が必ずしも良好ではない寛骨臼廻転骨切術を実施する必要性はなかった。特に、被告伊丹は、原告のように人工股関節置換手術と寛骨臼廻転骨切術とのコンビネーションの症例については経験が乏しく、術後の成績について確信を抱ける状況ではなかった筈であるから、そのような手術を行うべきではなかったにもかかわらず、右手術を強行し、手術そのものも失敗したという過失がある。
(二) 説明義務違反
医療行為が行われるに際して、患者は単なる治療の客体ではなく、主体的な意思決定権を有するものであることに鑑みると、患者が正しい意思決定を行うために、医師が手術についての事前説明を行う際には、術後の改善の見通しといったプラスの情報だけでなく、手術自体の危険性や合併症の有無、失敗の可能性といったマイナスの情報を提供しなければならない。しかしながら、本件では、患者に対する十分な説明が行われないまま、被告ら医師が二度にわたって強引に手術を勧めたものである。
すなわち、被告伊丹は、初診時においては、原告の疾患につき、先天性の股関節脱臼であると説明し、治療については、左股関節は人工股関節置換手術を行うしかないが、右股関節は殆ど変形していないので治療をすれば人工股関節置換手術を行う必要はない、右側から先に処置をする旨説明していたところ、昭和五八年一二月になって、先に左股関節の人工股関節置換手術を行うと言い出し、人工股関節は通常の生活をしていれば三、四〇年の寿命がある、手術後四か月もすれば職場に復帰することも可能であるなどと説明したので、原告は、当時左足に多少の痛みは感じていたものの日常の生活動作に何の障害もなかったため左股関節手術の必要性については疑問を抱きつつ、専門医である被告伊丹の言を信頼してその手術を受けることを承諾した。
他方、人工股関節置換手術前においては、この時点で手術が必要である理由の説明、人工股関節置換手術の最大の目的が、痛みの軽減・除去であるという点に関する説明、再手術の可能性についての説明、手術が手術後の日常生活に与える影響についての説明、その後の治療計画についての説明などが行われなかった。原告は、手術後に退院するに際して、初めて、被告別府から、人工股関節置換手術が痛みをとるための手術であったことの説明を受け、また、正座を避けて洋式の生活をし、転倒や階段の昇降を避けるようにとの日常生活上の注意を聞き、強いショックを受けたのである。
仮に原告やその家族が、手術の前に右の諸点に関する具体的な説明を受けていれば、原告としては、この時点ではこの手術を承諾しなかったのであるから、被告伊丹は、右の不十分な説明により、原告が手術を受けるかどうかについて正しい意思決定をする権利を侵害したというべきである。
また、原告は、被告伊丹から、昭和五九年五月ころになって、寛骨臼廻転骨切術を勧められたが、痛みの点でも機能の点でも股関節の症状が悪化したとの自覚はなく、家庭の事情もあったので、回答を延期していたところ、同年九月三日になって、被告伊丹が「待てません。」と手術することを強く勧めたため、原告はやむなくこれを承諾したが、その際、被告伊丹は、手術の必要性についの説明、手術自体の治療成績についての説明、被告らの治療実績についての説明をせず、かえって、手術のための入院後に、被告別府が右手術は古くから行われている簡単で危険性のないものであるなどど真実とは異なる説明をするなど、患者を積極的に誘導するような誤った説明がなされた。
原告は、この手術に関しても、仮に事前に正しい情報を得ていれば承諾することはなかったのであるから、被告伊丹の不十分な説明により、原告の正しい意思決定が妨げられたものというべきである。
(三) 被告別府は、各入院時の病棟の主治医であるが、独立した整形外科医である以上、被告伊丹とともに、人工股関節置換手術及び寛骨臼廻転骨切術の適応につき正しい判断を下すとともに、当該手術自体の持つ危険性や予想されるその後の経過について、患者である原告に対して具体的に説明すべき義務を有するというべきである。そして、被告伊丹と被告別府は、互いに協議・協力して原告の適切な診療にあたるべき立場にあるから、被告らの行為は共同不法行為を構成する。
5 損害
(一) 入院時の付添人費用 金一〇〇万円
原告は、前述の二回の入院治療の際、介護のために付添人を雇い、金一〇〇万円を支出した。
(二) 逸失利益 金一一〇五万円
昭和六一年の賃金センサスによると、同年の女子労働者の学歴計の年収は二三八万五五〇〇円であるところ、原告は、寛骨臼廻転骨切術を受けた後である昭和六一年六月から強い痛みが出現し、これ以降は日常家事に大きな支障が生じ、労働能力の六割を喪失したので、原告は前記年収の六割に相当する利益を失った。原告は、右時点において満四六歳であったが、当時変形性股関節症に罹患していたことを考慮すると、右時点以降一〇年間にわたり前記利益を喪失したものというべきであり、ライプニッツ式計算法で右期間につき民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除して逸失利益総額の現価を計算すると、金一一〇五万円(但し一万円未満切り捨て)となる。
(三) 慰謝料 金八〇〇万円
被告らの前記のような不法行為により、原告は、精神的損害を被り、これに対する慰謝料としては金八〇〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用 金三〇〇万円
原告は本件訴訟の提起と追行を弁護士森谷和馬に依頼し、その報酬として請求金額の一五パーセントを支払う旨約したが、右弁護士費用は被告らの不法行為と相当因果関係にたつ損害というべきであるところ、右金額は金三〇〇万円(但し一万円未満切り捨て)である。
6 よって、原告は、被告らに対し、共同不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、各自金二三〇五万円及び訴状送達の翌日である昭和六三年五月二九日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実(当事者)は認める。
2 同2の事実(治療の経過)のうち、被告伊丹が雑誌に人工股関節置換手術についての解説を掲載していたこと、原告が昭和五八年五月二六日に牧田総合病院において被告伊丹の診察を受け、その後同病院にしばらく通院したこと、昭和五九年一月三一日、被告伊丹の執刀により左側の股関節につき人工股関節置換手術を受け、同年三月に退院したこと、同年九月二〇日、同じく被告伊丹の執刀により、右側の股関節につき寛骨臼廻転骨切術を受け、昭和五九年一二月末に退院したこと、被告別府が右各入院時の病棟の主治医であったことは認め、その余の事実は知らない。
3 同3の事実(原告に生じた障害)のうち、昭和六一年六月以降右股関節の痛みが従来より強くなったこと、同年一〇年末ころからロフストランドが必要となったことは認め、右のころ、右股関節の軟骨が失われ、以後は日常生活に大きな支障があることは不知、その余の事実は否認する。
被告伊丹は、原告に対し、杖をついて出来るだけ足を大切にするように指示し、手術後の経過は極めて良好であるが活発な行動をしないように注意していたのに、原告はこれに従わず、海外旅行にも出掛けていた。そして、昭和六一年六月以前において、何処からか飛び降りるなどという無理な行動をしていたのであり、原告主張のような症状があるとすればそれは原告本人の不養生から生じたものである。
4 同4の事実(被告らの責任)は否認し、過失ないし義務違反があることについては争う。
5 同5(損害)のうち、(一)の事実は不知、その余の事実は否認する。
三 被告らの主張
1 変形性股関節症とその治療
原告は、左右両股関節の、寛骨臼部分が先天性の発育不全のため亜脱臼状態にあるという両股変形性関節症に罹患していた。
原告の右疾患は先天性股関節亜脱臼が原因であったが、先天性股関節亜脱臼による変形性股関節症は、大腿骨の骨頭に相対する骨盤の方の受け(寛骨臼)の発育が悪く、大腿骨の骨頭が常時外方にずれようとするため、両者の間に摩擦が起こり、長年の間に関節の軟骨が擦り減り、関節の骨が露出し、関節自体にいろいろな程度に骨が増殖して、ますますすり合わせが悪くなり、更に骨の中に空洞ができ、悪化の一途をたどる。
変形股関節症は、病変の程度により、前関節症、明らかに関節症が始まったと診断される関節症の初期、だんだん悪化している時期である進行期及びその次の時期である末期の四つに分類される。
初期関節症に対して行われる積極的な手術法には、棚形成法、寛骨臼廻転骨切術、骨盤骨切術、内反あるいは外反骨切術などがある。これらは、発育の悪い寛骨臼に手術操作を加えて大腿骨骨頭を受ける範囲を拡大したり、大腿骨の骨頭の向いている方向を変えて、寛骨臼と大腿骨骨頭との間のすり合わせを良くしたりすることにより、関節症の進行を遅くするか、出来れば食い止めることを目的とする。
末期に対しては、以上の手術法は効果がなく、痛みを取ることを目的とした方法として、関節を動かないようにする固定術と人工股関節置換手術がある。このうち、人工股関節置換手術は、除痛効果がある他、日常動作に差し支えない程度の運動性が得られるため広く行われている。
2 本件各手術の適応
(一) 人工股関節置換手術について
原告が昭和五八年五月二六日に牧田総合病院で初めて診察を受けた際、左右股関節のレントゲン撮影が行われた。その結果、左股関節は、その大腿骨骨頭部分が既に壊死し、骨の組織が空洞化した状態となっており、長年異常なすり合わせの状態が継続していたため同部位に異常な骨の増殖部分も発生しており、手術する以外には方法がない程度の症状で、末期と診断された。
他方、右股関節は、大腿骨骨頭部分に壊死状態は見られなかったが、若干の異常な骨の増殖部分が見られ、骨頭部を現在手術するまでの状況には至っていないものの、寛骨臼部に骨のう胞状態が発生し、空洞化した異常状態となっていたので、前関節症から初期に移行する時期と診断され、手術せずに放置しておくことはできない状態であった。
被告伊丹は、経過観察をする方針で、理学療法や薬物療法を行っていたが、同年九月ころに左股関節に自発痛が発生し出し、同年一一月二四日には、痛みが増大し、インダシン坐薬により鎮痛剤を投与するほどの症状となった。そこで、被告伊丹は、初診から約七か月半が経過した昭和五九年一月一三日に人工股関節置換手術を行った。
被告伊丹は、昭和四五年頃、骨セメントを用いない人工股関節を開発し、臨床に応用してきたが、人工股関節の臼蓋に挿入されたHDP(ハイ・デンシティー・ポリエチレン)は、金属骨頭との間の摩擦による磨耗に対して、通常の生活をすれば三〇年間の耐久性がある。また、今日の医学的常識としては、人工股関節置換手術が最も適当である症状の患者について右手術を行うことに格別の年齢制限がない。従って、原告に対する右手術の実施が早すぎたということはできない。
また、被告伊丹が、右股関節の手術に先立って左股関節から手術を行ったのは、左よりも症状が良い右股関節をできるだけ保持するため、左股関節から手術を行い、右股関節部への体重の負荷を減少させることを目的としたのであり、先に右側から手術した場合、手術した右側に体重の負荷がかかって手術の効果が失われる危険性が極めて高かったことによる。
以上のとおりであるから、被告伊丹が人工股関節置換手術を行うこととした判断に過誤はない。
(二) 寛骨臼廻転骨切術について
原告は、昭和五九年四月一六日、外来で診察を受けたが、その際、被告伊丹に対し、右側の股関節が痛み出したと訴え、悪化の傾向が見られた。しかし、被告伊丹はなおも当分の間経過観察をすることとし、原告にその旨伝えて様子を見たが、原告が同年六月一一日に来院した際、痛みが激しさを増して来た旨の申出があった。
被告伊丹はその後も経過観察を続けたが、右股関節の痛みが中等度程度に進み、放置すると股関節の変形の程度が末期の段階に至り人工股関節置換手術が不可避となると判断され、また、左股関節が体重を十分支えられるようにもなったので、同年九月二〇日に右股関節手術を行った。原告は、同年一二月二二日退院したが、その後は股関節の痛みを全く訴えず、昭和六〇年九月末ころまでは極めて経過が良好であった。
原告は、寛骨臼廻転骨切術を行う必要はなかったと主張するが、寛骨臼廻転骨切術の実施時期は、痛みのみから判断すべきではなく、股関節の変形の状況に応じて考慮すべきところ、放置することで人工股関節に移行することが予測される場合は、患者自身の骨を利用して手術ができるのであれば当然それを行うべきであり、寛骨臼廻転骨切術は、最後の手術方法である人工股関節置換手術の前段階の手術として定着している。
以上のとおりであるから、被告伊丹が寛骨臼廻転骨切術を行うこととした判断及びその手術自体については、いずれも過誤はない。
3 説明義務について
被告伊丹は、初診時、原告の症状を両側性変形股関節症と診断し、治療の見通しとして、左股関節については人工股関節の手術法しかなく、右股関節については経過を見て痛みが強くなれば寛骨臼廻転骨切術を行うのが適当であると説明した。その後は、昭和五九年六月になって、痛み及び運動制限がやや強くなったという経過をふまえて、右股関節につき寛骨臼廻転骨切術を行うことが適当であると説明したのであって、手術を強く勧めたことはなく、むしろ、原告には早く手術をして良くなりたいとの願望があった。被告別府は、寛骨臼廻転骨切術につき、簡単で危険性の少ないものであると強調したことはなく、左側の人工股関節置換手術と同程度のものであって通常行われている手術程度であると言ったに過ぎない。
被告伊丹は、原告に対し、各手術前において、手術の時期、方法及び予後等について機会あるごとに説明しており、原告自身もそれを十分検討したうえで判断したのである。原告は、予後の症状について、マイナス要因についても十分説明すべきであったと主張するが、手術の必要性がある場合にそれを強調することは、時に患者の不安を増幅し、かえって手術を躊躇させるという不都合が大きい。従って、被告らは、説明義務を尽くしているというべきである。
第三 証拠<略>
理由
一当事者について
請求原因1の事実については当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、<証拠略>を総合すると、以下の事実が認められる。
原告は、昭和一五年四月九日生まれの主婦であり、生来元気で、テニス等のスポーツを愛好する健康な生活を送っていたが、両側の股関節とも変形性股関節症(股関節に慢性の退行性変化と増殖性変化が同時に起こり、関節形態が変化する疾患)に罹患しており、昭和五七年秋ころから時々左股関節に痛みを感じるようになったので、昭和五八年三月二二日、千葉中央病院の整形外科を受診し、医師から、両股関節が脱臼しかかっているようであるとの説明を受けたが、納得のいかないまま過ごしていたところ、そのころ、雑誌で被告伊丹が変形性股関節症及び人工股関節置換手術に関する記事を書いているのを目にし、周囲の強い勧めもあって、専門医の診断を受けるべく被告伊丹のもとを訪れた。
被告伊丹は、東京慈恵医科大学の整形外科の主任教授及び同大学付属病院の副院長などを歴任し、医師国家試験の試験委員や、日本整形外科学会の会長などの経験がある整形外科の医師であり、ライフワークとして股関節の研究を行い、いわゆる「慈大式人工股関節」を開発して臨床に用いているが、当時、牧田総合病院の顧問としてその整形外科を総括していた。
被告別府は、昭和五八年七月一日から、右病院の整形外科の医員として勤務し、義父である被告伊丹の指示のもとに医療活動に従事していた医師である。
二原告に対する治療の経過
1 原告が、昭和五八年五月二六日に牧田総合病院において被告伊丹の初診を受け、同病院にしばらく通院した後、昭和五九年一月三一日に左股関節につき被告伊丹の執刀で人工股関節置換手術を受け、同年三月に退院したこと、その後、原告が、同年九月二〇日に右股関節につき被告伊丹の執刀により寛骨臼廻転骨切術を受け、同年一二月末に退院したこと、被告別府が右各入院時の病棟の主治医であったことは、当事者間に争いがない。
2 そして、右争いのない事実に、<証拠略>並びに証人二ノ宮節夫の証言及び鑑定人二ノ宮節夫の鑑定の結果(証人二ノ宮節夫の証言及び鑑定人二ノ宮節夫の鑑定の結果を併せて「二ノ宮鑑定」という。)を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 初診時の診断
初診時である昭和五八年五月二六日当時、原告の左股関節は、X線像から判断すると、軟骨が失われて骨盤と大腿骨骨頭が接触し、大腿骨骨頭部分は既に壊死し骨の組織が空洞化して異常な骨の増殖部分が発生しているという状態であり、自覚症状としては、痛みがあり、関節の可動域は、屈曲が七〇度に制限され、各種の回転運動は高度に制限されていた。被告伊丹は、右所見に基づき、原告の左股関節が関節症の末期の状態にあると診断した。
他方、右股関節は、X線像から判断すると、一部において擦り合わせの悪い部分があって軟骨が擦り減り、骨盤側にはのう胞が形成されていることが観察されるものの、大腿骨骨頭部分に壊死状態は見られないという状態であり、関節の可動域は、屈曲が九〇度、内外転は正常、回旋はやや制限されており、初診当時は痛みの訴えはなかった。被告伊丹は、右所見に基づき、原告の右股関節が関節症の初期から進行期の状態にあると診断した。
このような原告の変形性股関節症は、X線像から判断する限り、両側の股関節とも臼蓋形成不全及び骨頭変形が強く、先天性股関節脱臼に由来するものと考えられる(この点、原告は、陳述書<書証番号略>において、変形性股関節症が発現する以前には幼少時から健康な生活を送っており、股関節脱臼を疑わしめるような症状は皆無であって、原告の変形性股関節症が先天性のものであるとは到底信じられないと力説するが、そのような事情があるとしても、右認定を左右しない。)。
(二) 原告に対する診療―人工股関節置換手術まで
被告伊丹は、初診時において、撮影したレントゲン写真を見て、先天性両股関節変形症であり、左股関節は変形が進んでいるので人工股関節置換手術を行うしか治療の方法はないが、右股関節は変形も殆どなく、治療を施せば人工股関節になることはないと判断し、原告にその旨病名、現状及び今後の治療見通しについて詳細に説明するとともに、人工股関節は耐久性に問題があり、三〇年から四〇年しかもたないので、原告の年齢(当時四三歳)から考えて、手術の時期はできるだけ延ばすほうが良い、右股関節については治療方法を考えてみようと述べ、経過観察をする方針で、概ね二週間ごとに診察をし、オパイリン(鎮痛剤)、リンラキサー(筋弛緩剤)、ユベラN(ビタミンE剤)、パロチン(唾液腺ホルモン)の処方をした。
その後、被告伊丹及び被告別府は、昭和五八年七月七日の診療の際、人工股関節置換手術について、既に一〇年を経た術法であることを説明し、人工股関節は三〇年から四〇年は耐えられるので七〇才までもつであろうこと、手術後三週間は絶対安静にする必要があること、手術時期の選択の如何は、手術後に歩けるかどうかにかかわるので、その時期の選択が重要な問題であることを原告に伝えた。同日及び同年八月一八日の診療の際には、超短波療法、薬物療法、ホットパックによる温熱療法などが行われた。
同年九月一日の診察時には、自発痛と歩行痛の訴えがあり、大腿部の周囲の長さを計測したところ、その上部においては左右で3.5センチメートルの差が認められ、可動域については、左股関節は屈曲が七五度、外転が一五度、内転が二三度、外旋が二〇度、内旋が一五度であった。被告別府は、原告に対して、体重を減らせば股関節にかかる負担を軽減できると説明した。
被告伊丹は、同年九月一二日、レントゲン写真を撮影し、撮影後、被告別府は原告に対してその結果次第では手術を行う事になるかもしれないと告げた。被告伊丹は、原告に対し、同年九月二二日、左股関節については人工股関節置換手術をするしか処置の方法がないことを再び説明し、痛みが我慢できなくなった時点で手術を行うことを伝えた。
同年一一月二四日の被告別府による診察時に、原告は大腿が腫れて痛みが少し強くなり、長時間の歩行が以前よりも辛くなったことを訴えたので、痛みの増悪に対処するため、より強力な鎮痛消炎効果のあるボルタレン(鎮痛剤)及びインダシン坐薬の処方がなされた。
同年一二月八日、被告伊丹は、原告に対し、左股関節を手術する時期であることを告げた。被告伊丹がこの時期にこのような判断に達したのは、専ら原告の変形性股関節症が両側性であり、左股関節の支持性を改善することにより、右股関節に負担がかからないようにして、初期から進行期にある右股関節症の悪化を可及的に防止することが必要であること及び右股関節については人工股関節置換手術をしなければならないような末期症状となるのを避けるためには、いずれ右側について寛骨臼廻転骨切術等の手術をしなければならないが、その手術の予後を考えると、右側に負担がかからないようにしておくことが望ましく、そのためには左側の支持性を確保しておかなければならないと考えたことによるが、このような判断の理由は原告に対して説明されなかった。
原告は、早晩左股関節については人工股関節置換手術を受けなくてはならないものと考えてはいたが、突然の手術施行の話であったので、鎮痛剤を飲んでいればとりあえず痛みが治まり、日常生活上これと言って困ることはなく、また夫が海外赴任中でもあることなどを被告伊丹に告げたが、被告伊丹の判断は動かなかった。原告は、手術を受けることをその場では承諾せず、ひとまず帰宅した。そして、原告は、他の医師の意見を聞くために、同年一二月一九日、かねてから姉に受診を勧められていた国立王子病院の整形外科で診察を受けたところ、右病院の医師は、撮影したレントゲン写真を見て、このまま放置すると両方とも人工股関節置換手術が必要となってしまうが、いますぐ右股関節については骨切りという骨頭を少し切る手術をすれば、右側は人工股関節にならずに済むし、その手術は一〇年も前から行われ普及している手術であるから、直ちにその手術を受けるべきであると勧め、左股関節については変形もひどいので人工股関節にするしか仕方ないかもしれないと述べ、両方の股関節の手術を行うとすれば六か月の入院が必要であるが、半年もすればまた歩けると説明した。
これを聞いて、原告は、原告の変形性股関節症は、現在のところ右については自覚症状はなく、左については長時間歩くと疲れて痛くなるという程度ではあるけれども、今手術を受けないと将来歩けなくなることもあるような状態にあるらしいとの認識に達した。そして、医者の間に見解の相違があることを不審に思いつつ、国立王子病院で手術を受けようかとも思ったが、被告伊丹が、右股関節の手術についてそれまで格別の言及をしていなかったことから、人工股関節置換手術を今行えばその後に右股関節の手術は行わなくて済むのではないかと淡い希望を持ち、結局被告伊丹による手術を受ける決心をした。
こうして、原告は、同年一二月二二日、手術を受けることを承諾した。その際、被告らから、入院期間は三か月となるとの説明を受けたが、手術後に歩けるのかどうかや、日常生活がどのように変化するのかについての明確な説明は受けなかった。当時の左股関節は、運動範囲については屈曲が六五度、外転及び内転が五度、回旋は〇度と認められ、トレンデレンブルグ現象(立位で一側の脚を挙上させて背面から観察すると、脱臼側で起立させた場合、挙上させた側の臀部が下がる。)が観察され、跛行があり、階段の昇降が困難ではあったが、正座をすること、足の爪を切ること、衣類の着脱についての支障はなかった。
こうして原告は、昭和五九年一月五日牧田総合病院に人工股関節置換手術のため入院したものの、その予後について不安を覚えていたので、海外から一時帰国した夫とともに、同月九日、被告伊丹に対して質問したところ、被告伊丹は、人工股関節置換手術を終えた患者のレントゲン写真(人工股関節が白くくっきりと写っているもの)を示したうえ、人工股関節の耐久性は三〇年から四〇年であるとの説明を再び行い、手術後四か月もすれば職場に復帰することが可能であると述べた。
原告は、手術後のリハビリテーションを終え、同年三月三一日に退院したが、その際、被告別府は、原告に対し、手術後に注意すべき点について説明し、人工股関節の耐久性保持のために階段の昇降を避け、正座をしないで洋式の生活をすべきことに言及したが、さらに、人工股関節置換手術の目的が歩くためではなく痛みをとるためであることを説明し、個人的意見としては右股関節は手術をしないで大切に使うほうが良いと述べた。原告はマンションの五階に住んでいたので、退院後はなるべく出歩かないようにしていたが、杖を使用することはなかった。
右で認定した事実に対し、被告伊丹本人尋問の結果中には、被告伊丹は、原告に対し、初診時において、左股関節については人工股関節置換手術を行うほかはなく、右股関節については経過を見て痛みが強くなれば寛骨臼廻転骨切術を行うことが適当であるという内容の治療方針を説明し、また、同被告がそのような判断をした理由についても説明し、その後、原告が、左股関節の痛みが強いので手術をすることを積極的に希望したので人工股関節置換手術を行ったものであるとの部分がある。しかしながら、<証拠略>(カルテ)の記載を見ると、人工股関節置換手術を行う以前の時期においては、左股関節にどのような手術が適応であるか検討したことを示す記載があるのに対して、右股関節の手術をするかどうか、また手術をするとして、どのような手術を施すかについて検討したことが窺える記載はなく、右股関節が寛骨臼廻転骨切術の適応であるとの記載が初めて登場するのは、左側の人工股関節置換手術後の昭和五九年六月一一日であることが認められるし、また前記認定のとおり、原告は、左側の人工股関節置換手術を承諾するに先立ち、他の医師から右股関節をすぐに手術すれば右側は人工股関節にならずに済むと告げられていたのに、右股関節の手術について何の言及もしない被告伊丹との意見の相違にとまどいを感じていたのである。また被告伊丹が左側の人工股関節置換手術を行うことを決断したのは、前記認定のとおり右側との関連からであって、被告伊丹は左側の手術の予後が安定した後に右側の手術を行うことを、かなり高い蓋然性をもって考えていたのであった。このような事実に照らすと、被告伊丹の前記供述部分はにわかに措信することができない。
(三) 原告に対する診療―寛骨臼廻転骨切術まで
人工股関節置換手術後、原告は、昭和五九年四月一六日に外来で被告伊丹の診察を受けたが、その際、右股関節に時に痛みがあり、運動時に疼痛があることを訴えた。被告伊丹は、同年五月一四日の診察の際に、左足での支持が可能であることを確認し、その時ないしは同年六月一一日の診療の際、右股関節について寛骨臼廻転骨切術を実行する時期となったとの判断に至り、右股関節について手術を行えば一生自分の骨で過ごすことが可能となる旨説明して右手術を行うことを原告に勧めた。
原告はどのような手術であれもう手術は受けたくないと考えており、また、人工股関節置換手術後の退院時に、被告別府からは右股関節については手術をしないで大切に使っていた方がよいと聞かされていたので、夏には夫の海外赴任先へ旅行する計画があることを理由にして手術を受けることを承諾せず、その後の診察の際も、右股関節には中程度の痛みがあると訴えつつ、態度を変えず、同年八月三日から二三日まで夫のもとに出掛けた。
原告は、帰国後、同年九月三日診察を受けたが、その際、被告伊丹から、再び右股関節の手術を受けることを勧められたので、せめて長男の大学受験の終わる翌年四月末まで手術を待ってもらえないかと尋ねたところ、「待てません。」と右股関節の手術をすることを強く勧められた。原告は、手術を受けることに対して心理的な抵抗があったが、従前手術に消極的だった被告別府も手術を勧めるようになったこともあって、結局、この日、手術を受けることを承諾した。
原告は、同年九月一三日に入院後、被告別府から、今度行う術法である寛骨臼廻転骨切術は古くから行われている簡単で安全な手術であり、手術の内容は、股関節の屋根の部分が発育不良であるのでこれを少し切り開くというものであるとの説明を受け、右手術を受けた患者のレントゲン写真を示され、原告はその手術が人工股関節置換手術でないことを改めて確認した。そして、被告別府から何か質問はないかと促されて、原告が、手術部位の固定方法のほかに入院期間や手術後の歩行の様子、日常生活上の注意について質問したところ、同被告は、入院期間は人工股関節置換手術の時よりも少し長くなるが、三か月もすれば人間の骨はしっかりしてくるので時間の経過と共に効果が出てくるとの説明があったが、それ以上に予後についての具体的な説明はなされなかった。
原告は、手術の翌日、他の医師から、右手術が大きな手術であったと聞かされ、驚いてその事を診察に来た被告別府に尋ねたところ、同被告も大手術であったことを認めたため、被告らに対する不信感を抱くようになった(被告伊丹本人尋問の結果中には、被告伊丹は原告に対して手術を強く勧めたことはないとの部分があり、また、被告別府本人尋問の結果中には、被告別府は、原告に対し、入院時の手術内容に関する一連の説明において、寛骨臼廻転骨切術は簡単な手術であると述べたことはないとの部分があるが、被告別府の右各供述は、他方において詳細で臨場感にあふれ、かつ回顧的記載もないことから、その治療当時に逐一正確に記録されたものと認められる原告の闘病日記<書証番号略>の記載内容に照らすと、いずれも措信することができない)。
(四) 寛骨臼廻転骨切術後の状態
原告は、同年九月二〇日、右股関節について寛骨臼廻転骨切術の手術を受けたが、その後のリハビリ中に、右股関節付近から異音が発生するのを覚え、退院後はわずかな痛みがあったものの、概ね良好な経過を辿っていたが、昭和六〇年八月二二日の診察時に撮影されたレントゲン写真<書証番号略>では、右股関節は関節の間が狭くなり、左股関節は人工骨頭の軸が外側に寄っている状態が観察され、右股関節についてはトレンデレンブルグ現象が見られた。その後、原告は、昭和六一年一月二三日の診察時には、寒くなると一時的に右股関節に痛みを感じると訴え、同年四月一七日の診察時に撮影されたレントゲン写真<書証番号略>では、右股関節の軟骨が擦り減っていることが判明した。さらに、同年六月、原告は、突然、右股関節に強い痛みを感じ、それ以降、痛みが継続している。
なお、二ノ宮鑑定によると、右のように痛みが発生し、軟骨が擦り減るに至った大きな原因は、寛骨臼廻転骨切術によっても関節の適合性が改善されなかったことにあるものと認められる。この点、被告伊丹本人尋問の結果中には、寛骨臼廻転骨切術後に無理がかかる運動を行ったことが原因であるとしか考えようがない旨の供述があり、カルテ<書証番号略>の昭和六〇年九月二六日の診察時の欄には、調子が良すぎる為に動きすぎることが心配である旨の記載があるが、その具体的行動がどのようなものであるのか明らかではなく、かえって、原告本人尋問の結果によれば、寛骨臼廻転骨切術後はできるだけ外出を控えていたことが認められるし、また、二ノ宮鑑定によると、両側の股関節を手術した場合に何が原因で予後が悪化したかを特定することは難しいというのであるから、原告の不養生が痛みの原因であったものとは直ちに断定しがたい。
三変形性股関節症について
<証拠略>によると、以下のように認定することができる。
1 変形性股関節症の原因、症状
変形性股関節症とは、関節に慢性の退行性変化と増殖性変化が同時に起こり、関節形態が変化する疾患であるが、そのうちには特別な原疾患もなく原因不明で加齢的老化にも関連して発症するものと、先天性股関節亜脱臼による関節不適合や臼蓋形成不全などの原疾患により発症を促されるものとの二種類があり、わが国では後者によるものが大多数とされる。先天性股関節亜脱臼を放置すると、体重が関節の小さい範囲に集中するため、そこに軟骨の変性が起こり、炎症を起こして痛みが出るようになり、血行が悪くなり、関節周囲の力も弱くなって跛行が著明となり、これらが悪循環を形成して、一〇代ないし五〇代で変形性股関節症に発展し、わずか二、三年で変形性股関節症が急速に進行する。
変形性股関節症は、病変の程度により、前関節症、関節症の初期、進行期及び末期の四つに分類される。その症状は慢性に始まり、股関節の不快感、疼痛が生じ、痛みは次第に激しくなる。疼痛の発現後、次第に関節可動域が減少し、靴下の着脱、足指の爪切りといった日常生活動作に障害が出るほか、跛行が生じ、歩行障害が次第に強くなり、ついには独歩不能の状態に陥る。
2 変形性股関節症の治療法
変形性股関節症に対する治療法としては、歩行や階段昇降の抑制、歩行時の杖の使用による局所の安静や免荷、筋力の強化、消炎鎮痛剤の投与といった保存的治療法がある。しかし、関節症の進行を阻止するためには、手術的治療が基本となり、その方法としては、内反骨切り術・外反骨切り術などの転子間骨切り術、寛骨臼廻転骨切り術などの臼蓋面拡大を目的とする手術、股関節にまたがる筋を切り股関節への力学的負荷の軽減を図る筋解離術、本来の股関節を廃絶させるものとして、股関節固定術及び金属性のカップや人工股関節を使用する関節形成術などがある。
どのような手術を行うかについては、疼痛、可動域制限や日常生活上の不自由などの臨床症状、年齢、X線像上の関節症の進行度、両側罹患の有無等を総合的に判断して決定される。
3 人工股関節置換手術
人工股関節置換手術とは、寛骨臼と大腿骨頭の代わりに人工素材で作られたものを挿入し股関節を人工股関節に置き換える手術であり、除痛効果が著しく、日常生活に支障がない程度の関節の可動性を温存しつつ、支持性を得ることができる。
この手術では、人工素材を使用するため、その強度、磨耗に対する耐久性、人工股関節と骨との間の緩みが生じる可能性などが問題となり、一割ないし二割の割合で人工骨頭側の緩みが生じていることが報告されており、疼痛の再発や股関節支持性の悪化を惹起して再手術を必要とする場合がある。もっとも、被告伊丹が原告の手術に用いた慈大式人工股関節は、当時一般に行われていた骨セメントを利用する人工股関節よりも固定性が強く、緩みが生じ商にくいとの報告がある。また、一パーセントないし数パーセントの割合で、手術後三か月以降に遅発性感染症が生じ、人工股関節の抜去を余儀無くされる場合があるとされている。
人工股関節置換手術は、関節症が末期の患者で骨切り術など他に方法がない場合の最終的な手段であり、痛みの有無を第一の要素として適応を判断する。年齢的には、従来は、右の耐久性の問題を考慮して、六〇歳以上の末期の関節症の患者に対して行うことが理想であると考えられてきた。
しかし、近時においては、技術的・材料的な改善が進んだこともあり(この点、被告伊丹が原告の手術に用いた慈大式人工股関節中のプラスチック(HDP)の磨耗に対する耐久性は、最高一〇年の臨床成績から計算して、三〇年ないし四〇年であるとの報告がある。)、人工股関節置換手術は、両側性の変形性股関節症はもちろん、片側性であっても、高度の運動制限と著明な疼痛があり、関節固定術などの他の方法が適応とならない場合には、適応年齢を下げても行うことがある。また、両側性の変形性股関節症の場合は、他方の股関節への影響を考慮に入れる必要があるので、手術の時期を遅らせることが必ずしも得策であるとはいえず、また、家庭や職場の環境によっては、若年者であってもこの手術が行われている。
4 寛骨臼廻転骨切術
寛骨臼廻転骨切術とは、寛骨臼周辺を丸く球状にくり抜くように骨切りして骨盤から切離し、関節包をつけたまま前外下方に回転移動する手術であり、臼蓋の不足分を補うとともに、関節の適合性を改善することができる。
このような臼蓋形成不全に対する臼蓋形成術は古くから行われており、寛骨臼廻転骨切術という術式自体は、昭和四三年ころに田川宏教授により始められ、その後改良を経たものであるが、その手術法は複雑で、手術時間が長く、出血量が多いという短所があるものの、大腿骨頭の求心性を極めて良好に改善することができ、優れた成績が報告されている。
この手術は、かっては前関節症から関節症の初期において、最もよい適応があるとされていたが、田川らによる昭和五八年の日本整形外科学会における報告をきっかけとして、進行期から末期の股関節症についても適応が拡大されるようになった。もっとも、その後さらに長期間の調査結果を検討したところによると、進行期から末期の股関節症について、寛骨臼廻転骨切術を行った場合に予後が悪化する例が稀ではないので、現在では、右時期の股関節に対しては、適応を選んで行うべきであるとの意見もある。
四以上で認定した事実に基づき、被告らに原告が主張するような手術施行についての過失があるかどうかを検討する。
1 人工股関節置換手術について
原告は、本件で行われた人工股関節置換手術は、いずれ行うことは避けられなかったにせよ、痛みや運動制限の度合い及び年齢の点からして、時期が早すぎた旨主張する。
前記認定事実によると、原告は、手術を受けた時点では、従前より疼痛の程度が増したとはいえ、痛みが我慢できなくなるほどに達していたわけではなく、主観的にも日常生活上の不便がなく、また、人工股関節置換手術の適応と一般に想定された年齢よりも若かった。
しかしながら、前述のように、人工股関節置換手術の適応は、必ずしも右の要素だけで判断されるわけではなく、特に、原告の場合は両側性の変形性股関節症であって、時期の遅れが特に問題とされることがない片側性の場合とは異なった配慮が必要とされるところ、二ノ宮鑑定及び被告伊丹本人尋問の結果によれば、原告のように、左股関節には末期で鎮痛剤の継続的投与により抑制していた痛みがあり、右股関節は初期から進行期の中間で特に痛みがないという状態にある患者について、先に右股関節の手術を行うと、左股関節に痛みがあるため支持性が得られず右股関節に過度の負担がかかり術後に影響が生じる恐れを考え、まず右股関節の手術に先立って左股関節の支持性を回復させるために、先に左側の人工股関節置換手術を行うことも充分な合理性を有する治療方法と認められるから、この時期に人工股関節置換手術を行ったことについて、疾患の治療にあたる医師としての判断の相当性を逸脱したということはできない。
2 寛骨臼廻転骨切術について
原告は、原告の右股関節は変形性股関節症の進行期にあったのだから寛骨臼廻転骨切術を行う適応ではなく、また、痛みもそれほどでなかったから右手術を行う必要はなかったと主張する。
しかしながら、前述のように、右手術が行われた昭和五九年九月当時は、寛骨臼廻転骨切術の適応が一般に現在よりも拡大されて考えられていた時期であったのであるから、このような当時の医療水準の下においては、原告の右股関節について寛骨臼廻転骨切術が適応であるとした被告らの判断に誤りがあったとはいえないし、人工股関節置換手術が人工素材を使用した最終的な手術であることを考慮すれば、このまま右股関節を手術せずに放置して人工股関節置換手術を行う結果となるよりは、それを回避するために速やかに寛骨臼廻転骨切術を行う必要があるとした判断についても、疾患の治療にあたる医師としての判断の相当性を逸脱したということはできない。
また、原告は、寛骨臼廻転骨切術が手術自体として失敗であったと主張するが、前述のとおり、寛骨臼廻転骨切術を行ったにもかかわらず、結局、関節の適合性が改善されなかったことは認められるものの、それが被告らの責に帰すべき理由によるとまで認めるに足りる証拠はない。
3 ところで、原告は、両股関節に対して人工股関節置換手術と寛骨臼廻転骨切術とをそれぞれ行う症例について被告らは経験に乏しく、術後の成績についても確信が抱けなかったはずであるから、右各手術を行うべきではなかたと主張する。
しかしながら、二ノ宮鑑定によると、このような組合せは、組合せ自体について意味があるものではなく、個々の患者の症例及び社会的必要に合わせてそれぞれの股関節について適応となる手術法を選択した結果であると認められるから、各術法の選択に特段の過誤があると認められない本件においては、被告らにおいて右各術法を併用する経験に乏しかったとしても、そのことから直ちに被告らに過失があったということはできない。
五説明義務について
医師が患者の身体に対して手術等の侵襲を加える場合には、緊急やむを得ない等の特段の事情がないかぎり、その侵襲に対する承諾があって初めてその違法性が阻却されるものであるから、そのような意義を有する承諾があったと言うためには、その前提として医師がその患者(場合によってはその家族、以下同じ。)に対して、疾患の病状、治療方法の内容、その必要性、予後及び予想される生命身体に対する危険性等の事柄について、当時の医療水準に照らし相当と認められる程度方法による説明を施すことによって、患者がその手術等を応諾するかどうかを自ら決断する上で比較検討のために必要な侵襲の必要性及び危険性等に関する資料の提供が必要と考えられるのであって、医師としては、遅くとも手術等の前までに患者に対してそのような説明を施す義務があり、そのような説明がされないままに手術等に到った場合には、その手術等の結果の良否及びその責任の有無の如何にかかわらず、患者自身がこれによって被った損害を賠償する責任があると解するのが相当である。そこで、以下各手術ごとに検討する。
1 左股関節人工股関節置換手術についての説明
前記二で認定したとおり、原告は、被告伊丹の初診時以降、その診察の機会のたびごとに、被告らから原告の疾患及び治療方法等について様々な説明を受けていた。すなわち、その疾患については先天性の股関節症であるという病名のほか、左股関節は変形が進んでいるので人工股関節置換手術を行うしか方法がないこと、その手術は既に一〇年を経た術法であること、人工股関節の耐久性は三、四〇年あるから左股関節の痛みが我慢できなくなれば人工股関節置換手術を行うこと(その意味では除痛がその目的の一つであることを説明したものと言える。)、変形性股関節症においては手術時期の選択が重要な問題であり、手術後三週間は絶対安静が必要であることの説明を受けた上で、左股関節の痛みが従来より増してきた時期に手術を勧められ、他の医療機関の医師からも両股関節の手術適応時期であることを告げられたことから、原告はついに左股関節手術を受ける決心をしたものであり、手術前には、被告伊丹から人工股関節置換手術を終えた患者の人工股関節がくっきりと白く写っているレントゲン写真を示され、手術後四か月もすれば職場復帰が可能である旨聞かされていたのである。
そうしてみると、原告は、被告らから、その手術に先立ち、原告の罹患している病気の名称及びその現状、人工股関節置換手術の適応、一般的な目的、手術内容及び予後並びに他の治療方法がないことについて、概括的な説明を受け、かつ他の医師からも両股関節の手術適応時期であることをも聞かされたうえで手術に臨んだのである。なお、手術後の不具合について、被告らが特に具体的に説明した形跡はなく、その限りで、予後の見通しについての説明に充分とは言えないところがあるけれども、末期の関節症に対しては、現在のところ他の治療方法はなく、人間本来の股関節を人工素材で作られた人工股関節に置き換える手術を行えば、歩行に障害が生じたり、日常生活に深刻な影響が生じうること、また、人工股関節の素材そのものの耐久性にはそれほど問題がないとしても、人工股関節という比較的大きな人工素材が体内に滞留すれば将来何らかの問題が生じうることは、通常容易に予想しうるところであるから、人工股関節置換手術の結果や手術後の生活状況の詳細について説明をすることが望ましいとはいっても、これをしなかったからといって、手術応諾の判断資料に欠けるとまでは言えないから、直ちに説明義務に違反したとまでは言えない。さらに、術後の合併症やそのための左側の再手術の可能性について触れていない点も術前の説明として充分とは言えないけれども、確率的にそれほど多発する事態でもなく、直ちに生命の危険等の重篤な事態につながるものでもないことからすると、そのような事柄についてまでも逐一説明を施すべき義務があるとまでは言えない。
しかし前記認定のとおり、人工股関節置換手術は痛みの除去を目的とするものであり、被告伊丹は、当初から、人工股関節の耐久性を考えると、未だ四〇代前半という原告の年令からして、人工股関節置換手術の時期をできるだけ先に延ばす方が良いと考え、原告にもそのように説明し、痛みが我慢できなくなった時点で手術をすると言っていたのに、原告自身の痛みが多少増してきたとはいえ、本人自身もまだ手術をするほどの痛みではないと思っていたような時期に、突然人工股関節置換手術をすべき時期に来たとして、その承諾を求めたのである。その手術の目的が本来の目的である痛みの除去にあるものでないことは明らかであり、同時期に原告を診断した他の医師が右股関節について速やかに手術を受けることを勧めていたことからも明らかなように、被告伊丹は、この時期には両側の股関節症全体の治療を念頭に置き、左股関節について人工股関節置換手術をして左股関節の支持性を改善することによって、右股関節の悪化を防止するとともに、右股関節について寛骨臼廻転骨切術その他の手術を行うことを予定しその予後の改善に資することを企図していたのである。こうして、被告伊丹は、当初からの説明では未だ手術の適応とは言えないはずの時期に手術をすることを勧め、しかも当初はできるだけ手術の時期を延ばした方が良いとまで言っていながらこれを翻し、その翻した理由である何故今手術をする必要があるかについて何の説明もせず、しかもその手術が近い将来に反対側の股関節の手術をするためのいわば地ならしのような手術となる予定であったのに、そのことについて何の説明もしなかったのであるから、手術の真の目的ないし必要性という、手術の根幹に属する事柄についての説明義務に違反したものといわざるを得ない。
次に、被告別府の説明義務について検討するに、左股関節の手術の勧告をし、その手術についての説明をしていたのは主治医である被告伊丹であり、被告別府は被告伊丹の補助として外来診療にあたっていたにすぎず、その手術のために原告が入院した後に初めて病棟主治医として原告を担当するようになった者であるから、特に被告別府において被告伊丹の説明が不十分であることを知っていたなどの特別の事情の窺われない本件においては、被告別府には被告伊丹と同様の説明義務があったと認めることはできない。
2 右股関節寛骨臼廻転骨切術についての説明
前記認定のとおり、被告伊丹は主治医として、原告に対し、初診時に、右股関節については、左股関節と比べて変形が進んでいないので、人工股関節ではない何か別の治療方法を考えると言明して診療を続けた末に、手術を行えば一生自分の骨で過ごすことができるからと説明して手術を受けることを勧め、また被告別府は病棟主治医として、入院中の原告に対し、他の患者のレントゲン写真を示しながら手術の概要を説明し、原告の質問に答えて手術部位の固定方法や入院期間、術後の効果についての概略の説明を施したのである。
そうすると、被告らは原告に対し、手術に先立って、原告の罹患している病気の名称及びその現状、寛骨臼廻転骨切術の適応、目的、手術内容及び予後並びにそれが危険のない手術であることについて、精疎の差はあれ、概括的な説明をしていたと言える(特に原告は他の医療機関の医師の診断を受けて、右股関節については速やかに手術をしなければ人工股関節置換手術以外には治療方法がなくなることを事前に充分説明された上で、さらに被告らの説明を受けているのであるから、被告らの説明を充分に理解していたと考えられる。)。なお、当時の医療水準においては、前期ないし初期以外の変形性股関節症に対して寛骨臼廻転骨切術を行った場合に、予後が不良となる可能性が相当程度あることを医師が認識しえなかったことは前述のとおりであるから、被告らがその予後が不良(異音、疼痛など)となる可能性について特に言及しなかったからといって、その説明義務に反したとは言えない。また、被告らが原告に対して、寛骨臼廻転骨切術自体の治療実績や被告ら自身の経験を説明しなかったからといって、それが説明義務に違反したとはいえない。さらに被告らは、原告に対して、寛骨臼廻転骨切術以外の術法について特に言及して説明した形跡はないが、他の治療法といっても術式の選択の問題に過ぎず、当時の医療水準において、原告のような症状の患者に対して寛骨臼廻転骨切術を施すことについては特別問題はないとされていたことからすると、この時点でわざわざ他の術式を挙げてそれと比較しつつ寛骨臼廻転骨切術についての説明をしなかったからといって、その説明義務に違反したとは言えない。
ところで、前期のとおり被告別府は、寛骨臼廻転骨切術について、それが古くから行われている簡単で危険のない手術であると説明しているところ、原告はそれが誤った説明であると論難するが、前記のとおり、被告伊丹の行った寛骨臼廻転骨切術自体は昭和四三年ころに開発された術式であって、すでに十有余年を経たものであり、しかも同様な臼蓋形成のための種々の態様による手術方法自体は古くから行われていて、格別危険な手術とも目されていないのであるから、古くから行われている危険のない手術であるとの説明自体が、誤りであるとまでは言えない。これに対し、「簡単な」手術であるという表現は、執刀する医師の側の技術面でも容易であり、患者側が受ける侵襲の程度・態様も軽微であるかのような印象を与えるもので、現実の手術の内容からすると不適切な表現であるとの謗りは免れないところではあるが、被告別府が入院中の原告に対し、他の患者のレントゲン写真を示しながら手術の概要を説明していることからすると、その表現とは裏腹にしかく簡便な態様の手術でないことも同時に説示していたものと評価することができるのであり、とかく精神的に不安定になりがちな手術前には患者に余計な不安を抱かせないようにする配慮に出たものとも考えられるのであって、安直で不用意な表現とは言え、すでに手術を受けることについて承諾をしていた患者に対するものであることからすると、そのことをもって、直ちに被告らにおいて、手術の内容について虚偽の説明をしたとして、その説明義務に違反したものであるとは断じがたい。したがって、被告らが原告に対してした寛骨臼廻転骨切術に関する説明が、それで充分なものとまでは言えないにせよ、その負う説明義務に反する態様のものであるとは認められない。
3 損害額
以上のとおり、被告伊丹は左側股関節手術にあたり、原告に対して説明義務を怠ったのであるからそれにより原告が被った損害を賠償すべきところ、その損害は、原告が充分な情報を与えられないままに手術の応諾をしてしまったことによる精神的な損害にとどまるものと言うべきである。そして、前記認定のとおり、原告は、被告伊丹から左股関節についての手術を勧められ、国立王子病院の医師の診断を受けたところ両側の手術を勧められたため、同病院での手術を受けようかとも思ったが結局被告伊丹の手術を受けたのであるから、被告伊丹が正しく手術の必要性を説明していれば、原告もこれを了解のうえ、その手術に応じた蓋然性は高いものと考えられるのであり、その他諸般の事情を斟酌するときは、原告の被った精神的損害に対しては、金三〇万円の損害賠償の支払いにより慰謝するのが相当と判断する。また、原告は、本件訴訟提起にあたり、弁護士森谷和馬を訴訟代理人として選任し、同弁護士が本件口頭弁論終結まで原告の訴訟代理人として訴訟追行していたことは本件記録上明らかであるところ(なお、同弁護士は、口頭弁論終結後辞任した。)、本件事案に鑑み、被告伊丹の不法行為と相当因果関係のある弁護士費用としての原告の損害額は金五万円と認めるのが相当である。よって、被告伊丹は、原告に対して合計金三五万円の損害を賠償すべきである。
六結論
以上の次第で、原告の被告伊丹に対する請求については、金三五万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和六三年五月二九日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める範囲において理由があるから、その限度で認容し、被告伊丹に対するその余の請求及び被告別府に対する請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法九二条、八九条を、仮執行の宣言については同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官髙木新二郎 裁判官佐藤陽一 裁判官谷口豊)